2014/11/16 第4回 アメリカン・ヒストリック・カーショー (1/2)

山梨県富士吉田市の富士Calmで行われた「普通のアメリカ車に乗る、普通の人が気軽に参加できるイベント」。「普通」ってのがいいですね。日本ではアメ車は特殊なマニア向けになっていますから。

 クルマ好きにも、そうでない人にも、軽視されがちなアメ車ですが、60、70年代のアメ車黄金期は、ソフト(広告、販売戦略)もハード(スタイリング、メカニズム)もなかなか深いものがあります。日本のみならず保守的なヨーロッパも3大メーカーの一挙手一投足を見守っていたことは間違いありません。(同時代の日本車はアメ車のデザインをかなりパクっています)

実のところ、編者もアメ車は詳しくないのですが、E藤氏が撮ってきた写真を基に、黄金期のアメ車の歴史(ただしコルベットとポニーカーだけ)を追ってみたいと思います。

corvette
第二次世界大戦後、退役軍人たちが持ち帰ってきた欧州製スポーツカーに刺激を受けたGMは、初のスポーツカー、コルベットを企画する。当初は、欧州製と同様の軽量スポーツ路線であったが、はやばやと軌道修正され、強力なエンジンを搭載したプレステージ2シーターカーとなった。(wikiより)

C1(1954-1962)

初期のC1型コルベットは、スポーツカーイメージを押し出した“雰囲気車”の感は否めなかった。最高出力150馬力と貧弱な3,859cc水冷直列6気筒OHVエンジン、2速ATなど、少なくとも本質的な走りを重視する人々の琴線を刺激するだけの魅力は持ち合わせていなかった。(wikiより)

しかし、コルベットの評価を一転させるマイナーチェンジが行なわれることとなる。チューンを施したシボレー・セダン用の4,343cc水冷V8 OHVエンジンをエンジンルームに押し込むことにより、大幅なパワーアップを達成する。1955年はオプション扱いだったV8は、1956年からは通常ラインアップに加わり、逆に6気筒エンジンは蹴落とされる格好となった。トランスミッションもボルグワーナー製の3速MTが選べるようになり、いよいよ本格的なスポーツカーとしての認知を得るに至った。(wikiより)

1958年にボディデザインに大きな変更が入ります。

C2(1963-1967)

C2型は、そのスタイリングからスティングレイ(赤エイ)と名付けられる。

エンジン排気量は4,343ccから5,358ccと大幅に拡大され、キャブレターの違いで300馬力、340馬力、インジェクション仕様の360馬力が設定された。360馬力仕様は事実上のレーシング仕様で、足回りがレースでの出走を前提に引き締められていた。

足回りは前ダブルウィッシュボーン式、後トレーリングアーム式で、後輪にリジッドアクスルを採用していた先代と比較し、進化を遂げた。フロントはコイルスプリングだが、後輪では本来縦に置くはずのリーフスプリングを横置きにしていた。これは後々のコルベットにも受け継がれることとなる。ブレーキは当初4輪ドラムブレーキだったが、1965年からは4輪ディスクブレーキに改められている。

1965年には、レーシングスペックのZ06が登場。6,489ccという排気量を持つビッグブロックユニットが搭載され、425馬力というハイパワーを誇った。後にビッグブロックは6,997ccまでスープアップされている。

トランスミッションには力が入り、標準の3速MT、オプションで3速AT、4速MTが設定された。(wikiより)

上の画像は1967年モデルのクーペですが、1963年のクーぺにのみ採用された「スプリット・ウインドウ」(リアウインドが真中で縦に2分割されている)車は、現在、稀少車として珍重されています。

C3型(1968-1982)

アイアンバンパー(1968-1972)

コークボトルと呼ばれるボディラインを持つ。くびれたボディ中央部がコーラのビンを連想させることから名づけられた。エンジン、シャシーはC2型のそれを引き継いでいる。1969年にエンジンは、ビッグブロックを6,997ccから7,440ccに、スモールブロックを5,358ccから5,738ccに(出力据え置きのまま)拡大している。(wikiより)

ウレタンバンパー(1973-1977)

クロームメッキバンパーを捨て、新しい安全基準に適合したウレタンバンパー(5マイルバンパー)が装着された1973年、エンジンラインナップが整理され、5,733ccに一本化される。標準仕様は190馬力、オプションは210馬力、排ガス規制の厳しいカリフォルニア仕様は180馬力を発揮した。(排ガス規制の影響で大幅パワーダウン)トランスミッションは4速MTと3速ATが用意された。(wikiより)

グラス・ハッチバック(1978-1982)

1978年、それまでの垂直に降り立つリアウインドウが、ルーフからボディ後端までを繋ぐ湾曲した一枚ガラスに変化し、オプションにグラストップが追加された。

1982年の最終型は、キャブレターからインジェクションとなり、10馬力上乗せの200馬力を計上した。トランスミッションには4速ATが設定されたが、この年はマニュアルトランスミッションの設定がなくなり、よりGT的性格を強めた。(wikiより)

コブラでおなじみの貴重なハリブランド製センターロックホイールが履かされているようですが、ホイールナットが奥にあるのが見えます。よくできたフェイクですね。

C4(1983-1996)

開発が予定よりずれこみ、1983年末にようやくC4型コルベットが登場する。1983年モデル・シーズンには間に合わず、C4型に1983年モデルは存在しないことになった。C4では国内外の情勢を意識し大きく路線変更することとなり、ヨーロッパ的ともいえる洗練されたスタイルを纏った。構造的にも、エンジン以外のほぼ全てを新規に設計した。旋回性能を上げるためにショートホイールベース化され、前後トレッドを広げて操縦安定性を確保している。

当初、エンジンは5,733ccで205馬力と少々控えめの数値だったが、1989年モデルから追加されたZR-1に搭載されたLT5型エンジンは、当時GM傘下にあったロータスによって設計・開発されたもので、オールアルミ・DOHC4バルブ5,727ccV8は375PSを発生。ZF製6速MTが組み合わせられた。1993年、405PSまでパワーアップ。1995年に生産が打ち切られた。(wikiより)

C5(1997-2004)

C6(2005-2013)

C7(2014-)

スティングレイの名称が復活。
新エンジンの6.2リッターV8は、直噴システムとアクティブフューエルマネージメント、連続可変バルブタイミング、パワーと低燃費を両立させた先進的燃焼システムを採用し、最大トルク610Nmと最高出力335kW(450hp)を発生する。トランスミッションは7速MTと6速ATを搭載。(wikiより)


1960年代半ば、ポニーカーと呼ばれる車がUS国内市場を席巻しました。それらは若者が最初に手に入れるクルマとして企画されたコンパクトなスポーティーカーで、ベース車を安価にする一方、豊富なオプションで自分好みに仕立て上げられることを売りにしていました。1960年代後半にはパワー競争が始まり、大パワーを大排気量で叩き出すマッスルカーへと変貌します。しかし、マッスルカーは73年のオイルショックと、過激なパワー競争を危惧した政府による規制で終焉を迎えます。

ここでは代表的なポニーカーである、マスタング(フォード)、シボレー・カマロ(GM)、ポンティアック・ファイヤーバード(GM)、プリマス・バラクーダ(クライスラー)、ダッジ・チャレンジャー(クライスラー)を紹介します。

mustang

初代(1964 – 1973)

GM社内有数のカーガイで副社長であったリー・アイアコッカの下で、「ベビーブーマー」世代向けの中型車として開発がスタートした。1959年に発売されたフォード初の小型セダン、ファルコンがベースとされたが、スポーティーな外観と充分な性能、「フルチョイスシステム」と呼ばれる多彩なオプション群と巧みな広告戦略によって、ターゲットだったベビーブーマー以外の心も掴み、1960年代中盤の好景気と相まって、T型フォード以来と言われる同社の大ヒットとなった。初代マスタングの販売戦略とその成功は、日本において1970年に発売されるトヨタ・セリカにも多大な影響を与えたと言われている。(wikiより)

1964 – 1966 “オリジナル”

1965年型コンバーチブル。オプションのGTパッケージ車。

1966年型クーペ、GTパッケージ。

1965年、フォードはマスタングのSCCA参戦にあたり、レース用ホモロゲーションモデルGT350の開発をコブラの生みの親でGT40開発に関わっていたキャロル・シェルビーに委託する。

チューン内容は、リアシートほか内装の除去、足回りの強化、オプションにあった289cuin(4.7L)エンジンを309馬力@6000rpmまで出力を上げるなどと多岐に渡った。ボディ色は白のみで、オプションで青ストライプを入れることができた。またフロントバンパーのFRP化およびフロント以外の窓をアクリル化したGT350Rが存在した。(wikiより)

gt350

レースシーンでは1965年以降、3年連続SCCA Bプロダクション優勝という華々しいものであったが、レース指向の強いGT350は市場で評判が悪かった。そのため1966年モデルでは一般に受け入れられるようデチューンが施された。(レース用パーツのオプション化、オートマティックトランスミッション、エアコン、ラジオの取り付けが可能となり、リアシートも折り畳み式に変更。色の選択も可能となった)(wikiより)

1966gt350

1966年モデルにはハーツレンタルカーバージョンがあり、GT350Hとして米国内のハーツレンタカー店舗に提供された。(wikiより)
1966_gt350h

1967-1968

1967年型はデザイン面でのマイナーチェンジが行われた。”オリジナル”のスタイルを継承しつつ、フロントグリルの大型化、テールまわりにGT40譲りのカムテイルのイメージを導入している。エンジン・オプションに390cui(6.4L)のビッグブロックが投入された。(wikiより)

ファストバック。

1969-1970

1969年型は、ボディ外皮が一新され、よりグラマラスとなった。
フルチョイスシステムのためグレード設定のなかったマスタングも、この年から豪華仕様のグランデ、ハイパワーモデルのMach1、レース用ホモロゲーションモデルのBOSSがグレード設定された。この年より、ハイパワー競争にさらされた各社ポニーカーはマッスルカーへと変貌する。

1971-1973

1971年型では、最後のスキンチェンジが行われた。一新されたボディは大きく、重すぎたため、従来のマスタングオーナーらにはそっぽを向かれ、オイルショックの影響もあって販売が低迷する。1966年には60万台を売り上げたマスタングは、1972年には7万5000台しか売れなかった。

2代目(1974 – 1978)

低燃費、小型化志向を受けてボディサイズは、コンパクトよりさらに小さいサブコンパクトまで一気にダウンサイジングされた。フォード・ピントがベースとなった「マスタングII」は、当初、エンジンは直4とV6のみであった。(140馬力の302cui(4.9L)V8は1975年からオプション設定される)2ドアクーペと3ドアハッチバックの2種類のボディが設定され、1977年にTバールーフが追加された。デザインはフォード傘下のカロッツェリア・ギアが担当。スポーツモデルとして1976年および1977年に「コブラII」が、1978年に「キングコブラ」が追加されたが、エンジンがパワーアップした訳ではなかった。(wikiより)

1976 マスタングIIギア
カロッツェリア・ギアの名を冠した豪華仕様。

マスタングを師としたセリカは、マスタングがIIでダウンサイジングされると、ついに直接的なライバル関係となったのでした。(“あの”トヨタが、70年代半ばのUS市場で、まだMTで勝負していたとは、ちょっと驚きです)

camaro
60年代初頭、小型スポーティーカー市場をマスタングに独占されるのを指をくわえて見ているしかなかった盟主GMは、マスタングに遅れること2年8カ月、1966年9月26日にカマロを満を持して発表、1967年モデルとしてポニーカー市場に投入します。

初代(1967-1969)

エンジンは直列6気筒もしくはV型8気筒で、排気量は3.8Lから7.0Lであった。シートは全て2+2、2ドアハードトップとコンバーチブルが設定された。グレードはハイパフォーマンスモデルのZ28、RS(ラリー・スポーツ)、SS(スーパー・スポーツ)の3種類。(wikiより)

1967年にGMはカマロを20万台以上を販売しましたが、一枚上手のマスタングは40万台以上の販売を記録しています。

2代目(1970-1981)

プラットフォームを初代と同じFボディ・プラットフォームを採用しただけでなく、途中から追加ラインナップされた3.8L V6エンジンを除き、大半のコンポーネントは初代から引き継がれたもので、典型的なスキンチェンジである。グレードは初代と同じZ28、RS、SSの3種、それに1973年にLTが追加される。(wikiより)

1974年、マスクとテールのデザインをリファインし、新しい安全基準による大型バンパーを追加するなどマイナーチェンジを受けるが、折からの排ガス規制の影響で大幅にパワーダウン、最高グレードであるZ28がラインナップから一時姿を消した(1977年に復活)。(wikiより)

1978年、バンパーが塗装済みのウレタンカバーで覆われ、Tバールーフが初めて設定された。このマイナーチェンジは好評を博し、1979年には28万台というカマロ史上最高の売上台数を記録した。

3代目(1982-1992)

ボディ寸法は旧モデルに対し、全長で205mm、全幅で30mm、全高で15mmダウンサイズされている。エンジンに燃料噴射装置を初めて採用したモデルでもある。

firebird
シボレー・ブランドのカマロとFボディ・プラットホームを共用し、打倒マスタングでカマロと共闘したのが、ポンティアック・ブランドのファイヤーバードでした。残念ながら画像は撮られてきていませんが(会場には並んでいたはずですが)、カマロが出た以上、その兄弟車ファイヤーバードに言及しないわけにはいけません。

初代(1967-1969)

コークボトル・スタイルが特徴。ボディ形式は2ドアハードトップとコンバーチブルを用意。ベースモデルは OHC6気筒エンジンを搭載、オプションのV8エンジンは326ci(5.3L)(250馬力あるいは285馬力)または400ci(6.6L)エンジンの三種。

1969年には大幅にフェイスリフトされ樹脂製フロントエンドが付く。

1969年、ハンドリング・パッケージとして「トランザム」がオプションで登場。リアスポイラーが特徴。(トランザムはカマロにおけるZ28に相当)

2代目(1970-1981)

登場が1970年2月まで遅れた2代目ファイヤーバードは、第1世代のコークボトル・スタイルを廃し、「急降下する(swoopy)」ラインを特徴とする。

1971年に初登場した455は、マッスルカー世代で最後のハイパフォーマンス・エンジン。1973年と1974年に、540馬力を発生するレース用エンジンとしてスーパーデューティ455(SD-455)が造られたが、環境保護庁との協議の結果、300馬力を上回らないことになった。しかし実際には371馬力(グロス440馬力)を発生していた。さらに魅力的なことに、同エンジンは簡単に500馬力以上の仕様に戻すことができた。

1976年、ポンティアックは同社の50周年を祝して、黒塗りに金のアクセントを配したトランザムの特別仕様車をリリース。これがトランザム最初のブラック&ゴールドの特別仕様車なった。

特徴的な角型四灯は1977年に登場。

トランザムは、1980、1981年とインディ500のペースカーに選ばれ、それを記念し、V8にターボを追加(キャブターボ!)したインディ・ペースカー・パッケージが登場。

3代目(1982-1992)

先代より軽量になり、洗練されたデザインとなった。当初のグレード展開はベースモデル、S/E、トランザムの三つ。リトラクタブル・ヘッドライトによる低いノーズにより、Cd値は姉妹車カマロを凌ぐ。(wikiより)

baracuda
マスタングのデビューに2週間ほど先駆け、クライスラーからプリマス・バラクーダが発売されています。1964年から1974年まで製造されたプリムス・バラクーダは3世代存在します。

初代(1964-1966)

バリアントに使用されていたA-ボディ・プラットフォームを採用。

2代目(1967-1969)

初代と同じくA-ボディを採用。1969年に初めてハイ・パフォーマンス仕様を「クーダ」と称して売り出しました。

3代目(1970-1974)

3代目には、専用のE-ボディ・プラットホームが用意されます。兄弟車としてダッジ・チャレンジャーが登場しました。

1970 Plymouth Cuda

バラクーダのハイパフォーマンス版がクーダ。クライスラー最大の440エンジン(7.2L)を積んでいることをリアフェンダーのロゴで主張しています。

1970 AAR ‘Cuda

AAR(All American Racers)を率いるダン・ガーニーは、SCCAトランザムシリーズ・1970年シーズンよりレース車両をマーキュリーからプリマスにスイッチすることに決定します。そのイメージ・レプリカがAARオプションとして販売されました。

AARをさらにレーサーに近付けたカスタムと思われます。

1971年、グリルのデザインが変更されヘッドライトが丸目4灯となります。

1972年には再びデザイン変更を受け、丸2灯のヘッド・ライトと丸4灯のテール・ライトとなります。

1973年・1974年モデルは、新しい安全基準により前後のバンパーが大型化されます。マッスルカー、クーダは1973年のオイルショックを乗り越え、1974年まで生産されました。

1973 Plymouth Cuda

challenger

初代(1970-1974)

プリムス・バラクーダの兄弟車チャレンジャーは、同じE-ボディをベースにするも、ホイールベース延長などの変更を受けています。

グレードには、6、V8、R/T(Road/Track)の3種類があります。さらにT/A(Trans/America)というトランザムレースのホモロゲーションモデルが、約2500台が販売されました。

1970 Dodge Challenger R/T

ケンメリ・スカG(1972-77)って、やはりチャレンジャーに”影響うけた”んでしょうねぇ・・・

1974年で一旦ダッジのラインナップから名前の消えたチャレンジャーは1978年(から83年までの5年間)、復活を果たします。2代目チャレンジャーは三菱からのOEMで、初代ギャラン・ラムダそのものでした。エンジンも日本仕様と同一の4気筒1.6リッター・77馬力か2.6リッター・105馬力が選択できました。

プリムスではサッポロという名前で売られました。

この頃はすでに米国市場において、日本製=ハイテク、高性能というイメージが定着していたため、これらOEM車は、サッポロという名称で分かる通り、日本製であることを、(むしろ)強くアピールしていました。

PART 2に続く

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