伊車に続き、ラテンつながりで仏車をご紹介。ハッキリ言って、変なクルマが多いです。
ブガッティ
創始者エットーレ・ブガッティは、自動車造りにエンジニアリングと自らの芸術的感性とを融合させ(ときには芸術性をエンジニアリングより優先させ)、1910年から1940年に至るまでレース界および高級車市場を席巻しました。1940年代に入るとエンジニアリング面での進歩に着いていけず、急激に輝きを失ってしまうのですが・・・
1924 T13ブレシア
エットーレ・ブガッティの第13番目の作。
T35
エットーレ・ブガッティの第35番目の作。最も成功したブガッティ。T35は様々なバリエーションがあり、その一つと思われます。
パナール
1890年創業の老舗高級車メーカー、パナールは、第二次世界大戦後は小型乗用車の生産で生き残りを図るも、経営不振から1955年にシトロエン傘下に下ることになります。1965年シトロエンに吸収合併され、1967年ブランドは完全に消滅してしまいます。
1951 ディナX
1946年発表。FF駆動の採用の他、アルミ材を多用し軽量化を果たすなど、際立つ先進性を有する小型車でありました。
24BT
1964年から1967年まで生産された24は、その優秀性でパナール有終の美を飾ったといえましょう。エンジンはディナ譲りの850ccの空冷水平対向2気筒。クーペを24C(クペ)、セダンを24B(ベルリン)と呼び、その高出力版「ティグル」をそれぞれ24BT・24CTと呼んでいます。
パナール24は親会社シトロエンの車両開発(1968年以降のDSのフロントデザイン、1970年発売のGSのエンジニアリング全般)に影響を与えたと言われています。
オトモビル DB
シャルル・ドゥーチェ(Charles Deutsch)とルネ・ボネ(René Bonnet)によって1938年、オトモビル DB(Automobiles Deutsch et Bonnet)が設立されました。
戦前から戦中の中断を経て戦後間もない頃までシトロエンをベースにレーシングカーを製作していましたが、まもなくベースモデルをパナールに変更します。DBの本領は空気抵抗低減で、主にル・マンを中心とするスポーツカーレースで活躍していました。
1952 HBR/セブリング
エンジン他メカニカルコンポーネンツはパナール・ディナから流用しています。
1965 マトラ ジェット5
1961年、シャルル・ドゥーチェが会社を去ると、1962年、ルネ・ボネはオトモビル・ルネ・ボネを立ち上げます。翌63年にはオトモビル・ルネ・ボネは世界初の市販ミッドシップカー、ルネ・ボネ・ジェット(Djet)を発売します。しかし商業的には成功せず、ルネ・ボネは財政危機に陥ってしまいます。1964年、ルネ・ボネはマトラに買収されると、マトラによって手直しを受けたルネ・ボネ・ジェットは、マトラ・ジェットとして1967年まで販売されました。
アルピーヌ A106
ルノーの代理店を経営をしていたジャン・レデレ(Jean Rédélé )は、1956年よりルノー4CVベースのA106ミッレ・ミリアの製造を始め、1961年には、その市販モデルを世に出しました。これがあの著名なアルピーヌの始まりです。車名の106は、ルノー4CV用106系エンジンを使用していることを示しています。
モーガン
スリーホイラー
マチレス・エンジン搭載車。
ヤップエンジン搭載車。
1950 プラス4
1954 MG TF
ミニ・クーパー Mk.II
ジャガー
XK140
XK140の140は最高速度が140mph(約225km/h)ということを意味しています。この命名法は1991年のXJ220(約354km/h)でも使用されています。
Eタイプ・DHC
DHCはドロップヘッドクーペの意で、カブリオレの英国流言い回し。正確には、幌に内張りがあり、幌を張るとクーペと同様の居住空間が得られる場合を指すようです。
Eタイプ・FHC
FHCはフィックスドヘッドクーペの意。オープンで設計されたクルマに後から屋根を付けた場合を指します。
ポルシェ
356 プレA
356A カブリオレ
356C クーペ
メッサーシュミット
KR200
FMR
FMRは航空機産業に戻ったメッサーシュミットからキャビンスクーター事業を譲渡された会社です。
Tg500
Tg500は、FMRがKR200を4輪化・2気筒化したものです。
1967 クライスラー・ニューポートコンバーチブル
1967 ホンダ S800
コンベンショナルなリジッドサスになる前のチェーン駆動モデル。
1967 ダットサン フェアレディ2000