用件を聞こうか・・・

『・・・・・』


『わかった・・・引き受けよう・・・』

言わずと知れた『ゴルゴ13』、その連載50周年を祝した展示が川崎市民ミュージアムありました。そこでさいとうプロの『武器庫』に収められ門外不出という劇用銃が特別に展示されておりました。


私自身はガンについては守備範囲外なのですが、日頃お客様とお話をするに、バイク乗りにガンマニアが少なくない、という印象ですので、ここにご紹介いたしたい次第です。(兄弟をしてオートバイ&ガン・クレイジーの「切り込み役」にて「ご意見番」、Younger T氏にマニア的視点での解説をいただきましたので、併せてお楽しみください)
  

1930s Walther Kampfpistole

カンプピストル


初手からマニアックなガンです。私は存在自体知りませんでした。旧ドイツ軍が使用している画像をご紹介してお茶を濁しておきます。

W.K. 358 L.P.(M24型手榴弾)

W.K. 361 L.P.(標準卵型手榴弾)

W.K. 42 L.P.(大型成型炸薬弾)

Younger T氏による解説

元々は信号拳銃でした。

Walther Signai / Flare Pistol with W.K. 326 L.P.

それが戦場では手榴弾を取り付けて即席擲弾筒として使用されたことから「そんな危ないことすんじゃねーよ、ちゃんと専用の銃造るからさ、信号拳銃と間違えないように印付けとくよ」とZの文字が入れられました。まぁ擲弾照尺や分厚い銃床のパッドからして威力の高い弾を撃つんだなぁという様相ですね。

1959 ArmaLite AR-7

AR-7


以下のように銃床にすべてのパーツがコンパクトに収納できるというスグレモノ。不時着したパイロットの護身用として開発されたとか。


いかにも秘密道具的な存在感から、60年代の007のコケオドシ・アイテムとして多用されていた時期がありました。

007 ロシアより愛をこめて (1963年)

007 ゴールドフィンガー (1964年)

女王陛下の007 (1969年)

Younger T氏による解説

22口径の弾を使用するライフルで、その耐衝撃性と耐水性(分解して銃床に機関部を収納しておけば水に浮く!)、軽量で携行性が高いことから、お手軽ハンティングなどのアウトドアシーンでも活躍します……

広告でも「分解できること」、「水に浮くこと」を訴求

まぁ22口径は命中精度が高い弾としてその道のプロが愛用することでも知られています。この銃、携行性が良くて防水なんて言ったら、どんな人達がどういう使い方をしてたのか想像を逞しくしてしまいますねw

1896 Mauser C96 / 1970 Ingram Model 10

モーゼル C96


「モーゼル C96」、子供の時分は「モーゼル・ミリタリー」と呼んでいましたね。形状がユニークなせいか、日本ではマンガやゲームにやたら出てきており、名前とか形だけは非マニアにも有名な銃でしょう。しかし1896(明治29)年製と、当時も今も、そこまで古い銃とは思ってもみませんでした。むしろ、モダーンにすら感じていたから、おもしろいものです。

第2次大戦中のナチス親衛隊。銃床を着けて使用しています。



中国(清朝)では、ドイツ製C96を大量に輸入した上、そのコピーも現地生産していたようで、市中に溢れかえっていたそうです。馬賊ですら装備しているくらいですから・・・


八路軍(中国共産党軍)の女性兵士。C96をライフルのように扱っているのが印象的です。さらにもう一丁、小脇に下げているのが見られます。よほど余っていたのでしょう。


「余っている」感がありありな画像。オーストリア・ハンガリー帝国軍の航空隊では10連装で使っています(笑)


旧日本軍は、中国軍から鹵獲した大量のC96を装備品として兵士に供給していたそうです。この頃から日本人にも身近な銃だったのは意外な事実ではないでしょうか。



スターウォーズでハンソロが振り回す「ブラスター」なる光線銃はモーゼルC96のカスタムなのはマニアにはよく知られた話です。

Younger T氏による解説

画像はred nineと呼ばれる9mm口径(オリジナルは7.63x25mm)。


マガジン給弾とフルオート射撃を可能にしたバリエーションがM712、こちらの方が日本のトイガンフリークには馴染みが深いと思われます。


いずれにせよストックを装着しての射撃が可能ですが、これは長距離射撃を想定しての装備です。


実際リアサイトにタンジェントサイトを採用していることからも窺えます。


この長距離射撃が可能(当たるとは言っていないw)、口径の割に高威力の弾を使用といった所が広大な大陸にマッチしたのでしょう、馬賊に好まれることとなりました(1919年より実施されていた国際的な対中武器禁輸の対象に含まれなかったことも一因でしょう)。で、かの地では駁殻槍や毛瑟槍の名称で呼ばれました。ちなみに中国では槍が銃一般を表しますので、拳銃は手槍と表記されますよ、これマメ知識。

モーゼルC96は、本国ドイツにおいてよりも中国できわめて高い評価を受けた銃でした。総生産数の30%にあたる30万丁以上が中国に輸出された上に、100万丁以上のコピーが中国で作られたのです。

中国の運命を大きく変えた「天下第一槍」

1927(昭和2)年8月1日、中国共産党は江西省南昌で国民党政府に対し武装蜂起を起こします(南昌蜂起)。暴動を率いたのは「朱徳」で、彼の愛銃がボロ・モーゼル(ソ連向けの短銃身仕様・後述)でした。

シリアルナンバー「592032」、弾倉側面に「南昌暴動紀念朱徳自用」と刻印された朱徳のC96は、現在、中国人民革命軍事博物館で最も重要な文化財として恭しくも展示されています。(朱徳は後に八路軍総司令、人民解放軍総司令を務め、南昌蜂起を起こした8月1日は建軍記念日として祝日になっています)


独特の形状の木製グリップから、アメリカでは「箒の柄」(Broom Handle)とあだ名されているC96ですが、Younger T氏が書かれているように、中国でも多くの愛称を持っていました。

●毛瑟槍 (マオスェ゛ァチィァン)

「毛瑟」は「Mauser」の音に漢字にあてたもの。愛称というより中国語表記ですね。ちなみに「DUCATI」は「杜卡迪(ドゥカーディ)」です。

●自来得手槍(ズーライデイショウチィァン)

「自来得手」は「自動装填」の意。政府文書や工業資料中に使用されており、いわば公式名称と言えましょう。

●駁殻槍 (ブォチュェチィァン) / 「匣子槍」 (シァズーチィァン) / 「盒子砲」 (ハーヅゥパオ)

「駁殻」は「box」の音に漢字を当てたもの。「匣子」、「盒子」は「箱」を意味する言葉。いずれも「箱銃(箱砲)」という意味です。これらは、銃床に収められたモーゼルのユニークな形を見て付けられた愛称と言われています。

中国製コピー

中国でコピーされたC96は「11種」、M712は「5種」といわれ、その総生産は100万丁以上と言われています。コピーは1918(大正7)年から始まり、その工場はあまた存在したようですが、国家が統制する以外にも、群雄割拠する「軍閥」らが各々の判断で生産していたようです。そのうち特記に値する4工場を紹介いたします。

●四川(スーチュァン)兵工廠
最初のコピーの生産は1918(大正7)年に官営の四川工場から始まったとのこと。

●漢陽(ハンヤン)兵工廠
1921(大正10)年より生産開始。漢陽製C96は質、量とも最高と評価されています。


●大沽(ダーグー)海軍工廠
天津の大沽海軍造船所では、現地で「大鏡面」と呼ぶ趣味的なフラットサイドモデル(後述)も生産していました。銃身上面に「Taku Naval Dockyard」あるいは「大沽造船所」の打刻が入っています。


さらに、本国でもレアなカービンモデルもコピーしていました。


●太原(タイユェン)兵工廠
山西省の太原工場では1927(昭和2)年より生産開始。山西製C96の左側面には「自來得手槍」、右側面には「太原兵工廠」の刻印があります。

山西工場(太原工場から改称)では、先に生産していたトンプソン短機関銃と弾薬の共通化を図るため、45口径のモーゼルも独自開発しています。生産開始の1928(昭和3)年が民国17年にあたることにより、「十七式」と命名されました。1932年頃までに8,000丁ほどが作られ、銃の左側面に「壹柒式」、右側面に「民国拾捌年晋造」と刻印されています。


十七式は、他にない45口径ということで欧米のコレクターに人気のある銃です。

左から9x19mm パラベラム、
7.63x25mm モーゼル、
11.5×22.8mm .45ACP

●80式自動拳銃(80式衝鋒手槍)
中国人民解放軍が1980年に制式採用。モーゼルによほど思い入れがあるのでしょう、内部機構は独自設計であるにもかかわらず、見た目をM712に寄せています。弾薬は 7.62x25mmトカレフ弾を使用。

もうひとつのモーゼル・コピー大国、スペイン

モーゼルが牛耳っていた中国の武器市場にスペインの銃器メーカーは、そのコピーで切り込みを掛けました。スペイン製コピーは単なるデッド・コピーではなく、オリジナルの弱点などに独自の改良を加えたものであったことは特筆に値します。

●アストラ・ウンセタ
C96を最初に全自動化したのは意外にも、コピーメーカーのアストラ社でした。それが中国で大人気と知ったモーゼル社は、アストラ社に追従する形で全自動化に踏み切っています。

1927年に世に出たModel 900(半自動式)は好評を博し、


Model 901(半・全自動選択式:オリジナルとは反対の右側に半・全選択レバーが設置されています)、


Model 902(半・全自動選択式 + 固定20連弾倉)、


Model 903(半・全自動選択式 + 脱着式弾倉)、


Model 904(半・全自動選択式 + 脱着式弾倉 + 機械式減速装置:銃把上部のピンで制御します)、


Model E、Model F とモデルチェンジを繰り返し、生産は1951年まで続きました。

●ベイステギ・エルマーノス
今は世界的な自転車メーカーとして知られるスペインのBH社も、鉄砲鍛冶屋が始まりでした。(英BSA、日ミヤタも同様な出自です)

MM31の初期型は半自動式で、後期型は半・全自動選択式なっています。

ロイヤル MM31 (early model)

ロイヤル MM31 (late model)

MM34はMM31の弾倉を脱着式にした他、銃把内部に機械式減速装置を付け、連射速度を3段階で調整できるようにしたものです。

ロイヤル MM34

M34はエウロヒオ・アロステギ社が販売していたので同社製と思われがちですが、ベイステギ・エルマーノス社が作ったものでした。アズールは「青」の意で、ガンブルー仕上げであることを誇らしげに名前としています。

アズール/スーパーアズール M34

1936(昭和11)年にスペイン内戦が勃発するとスペイン製コピーは中国市場から急速に姿を消すことになります。

C96のバリエーション

●撃鉄(ハンマー)形状による世代分け
極初期のコーンハンマー:円錐状の撃鉄


初期のラージリングハンマー:大きな撃鉄、大きい穴


中~末期のスモールリングハンマー:小さい撃鉄、小さい穴


上でYounger T氏によって、9x19mm パラベラム弾を使う「レッド9」、全自動射撃機能を持たされた「M712」がC96の派生モデルとして紹介されていますが、そのほか主要なバリエーションを紹介いたします。(メーカー自身が派生モデルの管理に無頓着だったため、現在知られている分類は、命名さえも後世のコレクターらが行ったものです)

●1895 プロトタイプ

●1896-97 最初期モデル
コーンハンマーを持つモデルは1896年から1897年までの2年間で約1万3,000丁が生産されました。


早くも様々なバリエーション展開がなされていました。

コーンハンマー・コンパクト:短銃身、6連弾倉モデルとし、小型化を狙ったモデル


コーンハンマー・20ショット:20連弾倉モデル


コーンハンマー・ステップドバレル:一体化された銃身(バレル)と機関上部(アッパーレシーバー)が滑らかにつながっていないタイプ。通称、ステップド(段付き)バレル。

●1896-98 カービン
ハンティング用としてカービン・モデルが用意されました。カービンの総生産数は2,000丁以下ですが、その中でも、コーンハンマーを持つカービンはわずか100丁程度しか作られず、レア中のレアと言えましょう。

●1899 フラットサイド
側面を真っ平にして磨き上げたモデル。イタリア海軍からの依頼で作られたとのこと。中国では「大鏡面」の愛称がつけられています。

●1900 オフィサーズ
小型化を狙い、短銃身、小銃把の上、弾倉を6連発としたモデル。

●1914 レシーバー強化型
設計が古く、大きく複雑なC96は常に強度不足に悩まされていました。中でも銃身と機関上部が一体構造であることは、その境界部で破損を引き起こす原因となっていました。破損を防ぐべく機関上部を強化したものが以下のモデルです。ただし、この強化型でも同様な破損は起こり続けたそうです。

●1916 レッド9
1914年に始まった第1次大戦で武器不足となったドイツは、制式拳銃ルガーP08と共通の9X19mm パラベラム弾を使う銃器を各メーカーに発注しました。モーゼル社は9mm口径に改修したC96でこれに応え、軍から15万丁の発注を得ています。

●M1920 リワーク
 第一次大戦に敗れたドイツは大幅な軍事制限を受けます。1920年に結ばれたヴェルサイユ条約では、9mm口径の軍用拳銃は銃身長を100mm未満にすることが求められ、軍用C96は銃身長が99mmになるよう改修を受けました。これらのC96は、「リワーク」と呼ばれています。なお、7.63mm口径のC96は、制限対象外だったため、銃身の短縮化は行われることはありませんでした。

●1920 ポリス
フランス警察用。7.63mm口径の短銃身。わずか1,000丁の希少モデル。

●1921 ボロ・モーゼル
ソ連向け輸出モデル。銃身が標準の5.2インチに対し、3.9インチに短縮されたほか、銃把も小さくされていたため、手の小さいアジア人にも好まれました。「ボロ」は「ボルシェヴィキ(Bol’sheviki)」の意。


6連発モデル。

●M1930 ユニバーサル・セイフティ
C96以来、その派生モデルに公式名を与えることのなかったモーゼル社が、この1930年モデルに、初めて「M1930オートマチック・ピストル」という名前を与えました。このモデルから導入された新型安全機構より、通称「ユニバーサル・セイフティ」とも呼ばれています。C96の完成形といえましょう。

●1932 M712
連射機能を持たされたC96。

●1930s M714
「M712」が「連射機能を持たされたC96」であれば、「M714」は「連射機能を省いたM712」・・・言い換えれば、「弾倉着脱式となったC96」と言うことができます。


「M712とM714があれば・・・713は?」とお考えになるのは至極ご最も。実はM712が登場する前年に、連射版の処女作として「M713」というモデルが存在していました。M713は全自動射撃時の振動で「選択レバー」が勝手に切り替わってしまうほか、いくつかの欠陥が指摘され、すぐに対策が施されたM712に入れ替ってしまったのです。

当初C96の全自動化は、社内の「ヨセフ・ニクル」が担当したのですが、欠陥問題を鎮静化するために再設計を行ったのは社外の「カール・ヴェスティンガー」でした。(ほぼ同じ形状のM712とM713は、選択レバーの形状で判別できます)

M712

M713

●9 OBI (Oyster Bay Industries)
アメリカOBI社の固定弾倉を脱着式弾倉に変えるキット。(資料には9×19㎜ パラベラム弾が14発装填できるようになる、とあったのですが、弾倉がこんなに長くて、たった14発しか入らないのでしょうか?)


●PASAM (Pistola Automática Semi-Automática Mauser)
1970年代、ブラジル、リオデジャネイロの軍警察が、1930年代に導入した500丁のM712の延命を図り、カービン化のカスタムを行ったもの。珍品です。

「MOD-1」では、銃身から弾倉にかかる個所に前側銃把を溶接で追加しています。

PASAM MOD-1

「MOD-2」では、MOD-1をベースに前後の銃把の形状を変更した上、オリジナルの脱着可能な木製銃床に替えて、金属製のT型銃床を溶接で取り付けています。

PASAM MOD-2

イングラム M10


M10は、後で紹介するM16と並んできわめてアメリカ的な小銃だと思われます。名だたるアクション俳優らがスクリーンの中でM10を振り回しています。

ジョン・ウェイン / マックQ (1974年)

チャック・ノリス / テキサスSWAT (1983年)

チャールズ・ブロンソン / バトルガンM‐16 (1987年)

マイケル・ダグラス / フォーリングダウン (1993年)

エディー・マーフィー / ビバリーヒルズ・コップ3 (1994年)

アーノルド・シュワルツェネッガー / トゥルーライズ (1994年)

ブルース・ウィリス / ダイ・ハード3 (1995年)

ピアース・ブロスナン / 007 ダイ・アナザー・デイ (2002年)

Younger T氏による解説

45口径をフルオートで吐き出すサブマシンガン、サウンドサプレッサーやエクステンションバレルなどのオプション部品もありますよ。日本のトイガンフリークには9mm口径のM11の方が馴染み深いでしょうか? 


MAC10に限らずフルオートでの連射はマズルジャンプとの闘いでもあります、ガスガンの連射でも銃口が跳ね上がりますので、実銃だったらもっともっと跳ね上がることでしょう。

1955 Smith and Wesson Model 19 2.5 inch / 1938 Walther P38 Military / 1983 Glock 17

S&W M19 2.5 inch


2.5インチと銃身が短かったり、USの警察で御用達とされているなど地味目な印象ゆえ見くびってしまいがちなんですが、「.357マグナム弾」を装填できると聞けば、思わず身を正したくなるものです。デビュー当初は「コンバットマグナム」と、いかつい名前が付けられていました。銃身が4インチのものは、ルパン三世の相棒、「次元大介」の愛銃とされています。

クリント・イーストウッド / ガントレット (1977年)
#画像の銃はM19のステンレス版でM66と別の名前が付いています。

ブルース・ウィリス / ラスト・ボーイスカウト (1991年)

レスリー・ニールセン / 裸の銃を持つ男 PART2 1/2 (1991年)

ベン・スティラー / スタスキー&ハッチ (2004年)

Younger T氏による解説

出ました! M19! この銃で回転レシーブの如く地面を転がりながら独特のフォームで敵を倒すゴルゴ撃ち(←勝手に命名しましたw)は有名ですよね! しかも発射音がズキューンズキューン、ドウッドウッなど、さいとうたかを先生独特のセンスが光ります。また劇中でのゴルゴの射撃フォームを是非真似してみてください、わき腹が攣ること請け合いですw

ワルサー P38 ミリタリー


「ルパン三世」の愛銃ということで、日本で一番有名な銃といって過言ではないでしょう。「P38」と上で紹介した「モーゼル C96」、それに「ルガー P08」を加え、ドイツ3大拳銃と呼ぶむきもあるそうです。

ただ、ナチス御用達の銃だったせいか、ユダヤ資本のハリウッド映画とは相性は悪いようで、悪役が持つ銃、といった位置づけに過ぎない印象です。以下の「007」は英国映画で、ナポレオン・ソロはNBCのTVシリーズ。「ダーティハリー」では凶悪犯スコーピオンが使い、「インディ・ジョーンズ」ではナチス兵士から奪ったという設定です。

ショーン・コネリー / 007 ゴールドフィンガー (1964年)

ロバート・ヴォーン / 0011ナポレオン・ソロ (1964-68年)

ピーター・セラーズ / 007 カジノ・ロワイヤル (1967年)

アンディ・ロビンソン / ダーティハリー (1971年)

ハリソン・フォード / インディ・ジョーンズ 最後の聖戦 (1989年)

クリストフ・ヴァルツ / イングロリアス・バスターズ (2009年)

Younger T氏による解説

ルパン三世で有名ですね、この銃。世界大戦後、さっさと引退するかと思いきやP1の名称で暫く使い続けられました。9x19mm パラベラム弾の採用、デコッキングレバー実装、コッキングインジケーター実装など現代的装備を備えていた銃でもあります。

 
ワルサーP38、54年間の軌跡(奇跡?)をここにご紹介いたします。

1934年、ワルサー社は、制式拳銃であるルガーP08の後継を狙い、すでに定評を得ていた自社の警察用「PP(Polizei Pistole)」をベースに大型化、9x19mm パラベラム弾仕様とした軍用「MP (Millitärische Pistole)」 を試作します。

1934 MP

1935年、MPの「シンプルブローバック」方式を、9×19㎜ パラベラム弾のような威力ある弾丸に向く「ショートリコイル」方式に変更した「AP (Armee Pistole = Army Pistol)」を試作します。

AP Prototype

1935 AP

ワルサー社は軍部の意向を受け、APの内装式撃鉄を外装式に変更した「HP (Heeres Pistole = Military Pistol) 」をもって完成品とし、制式銃の審査に回し結果を待つ一方、民間向けにも市販を開始します。

「HP/P38」は、制式の「9x19mm パラベラム弾」を使う38口径の銃として開発されたことは先に書きましたが、民間向けの「HP」には、「22口径 / 5.6X15mm 22LR」、「32口径 / 7.65x21mm パラベラム」、「38口径 / 9X19mm .38スーパー」、「45口径 / 11.5X22.8㎜ .45ACP」の弾を使うものもごく少数ですが存在しています。

HP 7.65mm

この内装式撃鉄を持つ「HP」は、ミステリアスな存在としてマニアに知られています。内部機構を見ると、ごく初期の「HP/P38」に近い特徴を有しているので、「AP」から「HP」に至るまでの過渡期モデルではないかと考えられていますが、現在残っているワルサーの公式書類には、その存在は記されていません。

HP/P38 Concealed Hammer

刻印で分類する歴代P38

★Mod HP 刻印

ドイツ軍の制式銃として「P38」の名称が与えられる前は「HP」の名で、1937年から1944年まで民間向けとして、途中で軍用と同じ「P38」に名称を変えながら、2万5,000丁程度が販売されています。

★ワルサー社商標刻印

1万2,000丁程度の生産。

★480 刻印

1940年秋、ワルサー社の商標打刻は機密保持のため、コード「480」に変更されます。7,400丁程度の生産。

★ac40/41/42/43/44/45 刻印

まもなく機密コード「ac」と「製造年次2桁」の組み合わせの打刻になります。56万丁以上の生産。

Mauser P38

★byf42/43/44 刻印

1942年11月からモーゼル社もP38の生産に駆り出されています。機密コードは「byf」が与えられ、31万丁以上を生産。

★SVW45/46 刻印

1945年には「SVW」と打刻が変更されるも、同年4月20日に生産終了。


5月8日のナチス・ドイツ降伏後、フランス軍が進駐してくると、その命により、早くも5月10日にフランス向けとして生産が再開されています。打刻は、引き続き「SVW」とされ、1946年まで生産が続けられます。総生産数は5万1,000丁でした。


フランス向けP38には、防錆のために金属表面にパーカー処理(リン酸塩皮膜処理)が施されていたものがあり、コレクターらは、それらを特に「グレイゴースト」と呼び、珍重しています。

Spreewerk P38

★cyq 刻印

1941年9月からはチェコの「スプリーベルク」社もP38の生産に加わっています。機密コードは「cyq」。29万丁以上の生産。

CZ(VZ)46

★cyq+s刻印

1946年、東側の一員となったチェコスロバキアでは、スプリーベルク社の残存部品を使って3,000丁ほどのP38を生産、「CZ46」(あるいはVZ46)と命名し、東欧圏で使用するほか、アメリカなど西側諸国にも輸出を行っています。刻印は元々の「cyq」に「s」を追加したもの。

A.B.9

大戦中のドイツの武器生産中心地だったズールは、戦後、東ドイツに組み入れられましたが、1953年、残存部品と新規製造部品とを組み合わせ、P38のコピーを生産しています。新規製造部品には「A.B.9」と刻印されていました。CZ46同様、西側諸国に輸出されていますが、生産数はごくわずかとされています。

戦後型 P38

1955年に西ドイツの再軍備が承認されると、P38が再び制式化され、1957年からアルミフレームを持つ戦後型P38の生産が開始されます。P38の名は、1963年10月に「P1」と改称。戦後型P38/P1は、1992年の生産終了まで47万丁以上が世に出ました。

1957-1992 P1

極めて短い銃身を持つP38K(KはKurz(短い)の意)が、対テロリスト部隊の隠密着用のために用意されました。

1974-1981 P38K

P4は警察仕様として銃身長を詰められたほか、安全装置に改良が加えられています。

1975-1981 P4

ゲシュタポは短銃身のP38を使っていたのか?


ナチスドイツを裏から支えた「ゲシュタポ(Gestapo = Geheime Staatspolizei 秘密国家警察)」は、法を超越した「無制限の捜査・尋問・逮捕権」を持って、ヨーロッパ中でやりたい放題の限りを尽くした連中です。

彼らが使用したとする「P38の短銃身モデル」が「P38ゲシュタポ」と称され、USのオークションなどに掛けられることがあります。しかし現在、この「P38ゲシュタポ」が本当に存在していたのか疑われています。というのも、現在残されたワルサーの公式文書に「P38の短銃身モデル」の記載はなく、それを使用するゲシュタポの写真も残されていないからです。

どうやら「P38ゲシュタポ」の存在は、アメリカ・ジョージア州の「フォートべニング歩兵博物館」(Fort Benning Infantry Museum)に収蔵品があることを根拠とするようなのですが、それすら真偽はおろか存在すら確かではありません。(長銃身モデルは、たしかに収蔵されている/いたことは確認できたのですが・・・)


「P38ゲシュタポ」は、1974年にワルサー社が世に出した「P38K」を見て作られたのではないかという説もありますが、1971年に日本で発売されたモデルガンに「P38ゲシュタポ」を称するモデルがありました。


「P38ゲシュタポ」には、照星が銃身先端に付けられているものと機関最前部に付けられているものの2種類あることは認められていますが・・・

銃身長が統一されておらず・・・



機関最前部に付けられている照星のデザインもまちまちです。



これらを鑑みると、ゲシュタポが所有していた「P38の短銃身モデル」は確かに存在していたのでしょう。ただ、それは個人的にカスタムしたもので、米軍がそれを押収した際、便宜的にゲシュタポと分類し博物館に展示。後にそれがあたかも公式ラインアップにあったかのように認識(誤解)されてしまったのではないかと推測いたします。

市中に出回っている「P38ゲシュタポ」なる銃は、希少性を出すために戦後に改造されたものがほとんどなのではないでしょうか。
 

1974年のルパン三世の実写映画で「目黒祐樹」演じるルパンの愛銃は、同じワルサーでも、なぜだか「PPK」でした。それもモデルガン丸出しの金メッキ仕様!!

ルパン三世 念力珍作戦 (1974年)

1971(昭和46)年からの銃刀法規制で、金属製モデルガンは黄色か白に塗ることを義務付けられたのですが、モデルガン業界は苦肉の策として金メッキを施し、お上には黄色に塗ったことにしてもらったのでした。

その規制を知らない世代なのでしょう、この金メッキ仕様PPKをして、小道具までオシャレに徹している、というレビューを書いている人がおられます(笑)私は怖いもの見たさでビデオを借りたことがあるのですが、最後まで観続ける忍耐は持ち合わせておりませんでした。

ルパンの実写化は、どう作っても非難、批判にさらされることが分かっていながら、再び挑んだ意欲作(問題作?)が2014年版。小栗旬主演でビジュアル的にはなかなか、と言ったら漫画、アニメのファンに怒られますかね?

ルパン三世 (2014年)

まあ、実写化という点ではゴルゴはルパンを笑っていられません。

1973年版は、高倉健主演でオール海外ロケというビッグバジェット映画!!高倉ゴルゴは、そこそこ当たったのでしょうか、1977年には千葉真一主演でもう1本作られています。ゴルゴのあの髪型はパンチパーマという解釈。70年代に猛威を振るったブルース・リーを始めとする香港映画ブームに絡む形で日本・香港合作。


ゴルゴ13 (1973年) / ゴルゴ13 九竜の首 (1977年)

ちなみに1977年は漫画の実写映画化のビンテージ・イヤー(笑)で、「嗚呼!!花の応援団 」、「空手バカ一代」、「はだしのゲン」、「野球狂の詩」、「ドカベン」、「ブラック・ジャック」、「俺の空」、「ドーベルマン刑事 」、「サーキットの狼」、「こちら葛飾区亀有公園前派出所」と珍作、奇作が目白押しです。


グロック 17


スライドこそ金属製でありましたが、フレームやマガジンといった主要部品は強化プラスチック製ということで、「プラスチック・ガン」として、その名を世界に馳せました。

装弾数の多さゆえか、USの警察で大人気の銃ですが、なんと日本の警視庁でも採用されております。要人警護の「SP」が「17」(9mm口径・装弾数17発)を、特殊部隊の「SAT」が17のコンパクトモデル「19」(9mm口径・装弾数15発)を装備しているとのこと。

グロック17が世に出た当時、X線荷物検査に引っかからないという噂が広まりました。(スライドほか金属パーツはスキャンされるが,パっと見で銃と分かりにくいというのは事実)グロック社は、「ハイジャッカー御用達」という汚名を返上すべく、プラスチック原材料に造影剤を混ぜるようになりました。

X-rayed Glock 17

Younger T氏による解説

当初のっぺりとした外観で美しくないと評判でしたが、その実用性から信頼とシェアを勝ち取っていった銃です。その一因に激発システムがあります。撃鉄が露出していると幾つかの問題が懸念されますが、それを1900年初頭に発表されたのと同様のストライカー方式でクリアしたという中身的には古くて新しい銃なのです。そのストライカー方式ですが、ぶっちゃけ銀玉鉄砲の発射機構と大差ありません。もっときちんと知りたい向きにはマルシン工業からM1910のモデルガンが発売されていますので、是非キットで組み上げてみて下さい。

実のところ、世界最初のプラスチック・フレームを持つ銃は、グロックではありません。1970年、西ドイツの「H&K」社から発売された「VP70」がそれです。

VP70は発展途上国に売り込みをかけるべく、簡素ゆえ、信頼性が高く、廉価なことを売りにしていましたが、そのコンセプトは、ナチス・ドイツ時代の「国民銃(Volks Pistole)」構想まで遡ることができます。

第二次大戦末期、ドイツ軍は、物資が不足し設備も疲弊した条件下でも量産可能な「国民銃」の開発を進めていましたが、形になることはありませんでした。その構想は戦後、「H&K」社に引き継がれたのです。


「VP70」におけるプラスチックの使用は、当然、国民銃構想時には無かったアイデアですが、錆に強くしメンテナンスフリー性を高める狙いがありました。

残念ながらVP70は途上国への売り込みに失敗し、1983年にグロック17が登場、瞬く間に市場を席巻する中、世界初のプラスチック銃はその栄誉に浴することなく、1988年、静かにその命を閉じたのでした。

Younger T氏による解説

バイオハザードでお世話になった方もいらっしゃるかと思います。この銃も着脱式銃床が用意されており、3点射が可能です。



実銃は革新的な機構や生産方法てんこ盛りだったのですが、トリガーが重かったりストレートブローバック方式のため威力が充分でなかったり独特の照準器が使いづらかったり……あまり日の目を見ていません。

1963~ M16 Rifle Series

M16 フルスクラッチ



M16 / M16 スコープ付

M16 ランチャー付 / M16A2 カスタム


M16が登場する映画はベトナム戦争ものが大半です。戦時中に作られた「グリーンベレー」は米軍の軍事介入を肯定するプロパガンダ映画でしたが、米軍のベトナム撤退以後に作られた映画は(「地獄の黙示録」ですら)反戦、厭戦意識を内省的に表現したものがほとんどという印象です。

ジョン・ウェイン / グリーンベレー (1968年)

高倉 健 / ゴルゴ13 (1973年)

千葉 真一 / ゴルゴ13 九竜の首 (1977年)

ロバート・デ・ニーロ / ディア・ハンター (1978年)

ロバート・デュバル / 地獄の黙示録 (1979年)

シルベスター・スタローン / ランボー (1982年)

ロジャー・ムーア / 007 オクトパシー (1983年)

アル・パチーノ / スカーフェイス (1983年)

アーノルド・シュワルツェネッガー / コマンドー (1985年)

チャーリー・シーン / プラトーン (1986年)

フルメタル・ジャケット (1987年)

ハンバーガー・ヒル (1987年)

アーノルド・シュワルツェネッガー / プレデター (1987年)

チャールズ・ブロンソン / バトルガンM‐16 (1987年)

マイケル・J・フォックス(右) / カジュアリティーズ (1989年)

‎トム・ハンクス / フォレストガンプ 一期一会 (1994年)

クライング・フリーマン (1995年)

キアヌ・リーブス / マトリックス (1999年)

ブラックホーク・ダウン (2001年)


ゴルゴの愛銃 M16 の変遷


ゴルゴが狙撃任務に愛用するM16は突撃銃であり、5.56mmと比較的小口径(軽い弾)であること、オートマチックゆえ動作精度が甘いこと、から狙撃用途には適していない、と揶揄され続けてきました。それでもゴルゴがM16にこだわる理由は、「謎」(笑)とされていました。

ベトナム戦争時、米海兵隊は狙撃銃として口径7.62mm、
ボルトアクションのM70を制式採用していました。

その理由は、漫画だから・・・では身も蓋もありません。

事の真相は・・・さいとう・プロのスタッフは連載開始前の準備で、著名な軍事系イラストレーターで、当時、モデルガンメーカーMGCの宣伝部員だった上田信氏に、主人公が使う銃の選定を依頼したのですが、上田氏は何の考えもなく、おそらく見映えが良いくらいの理由でM16を薦めた、とのこと。

ゴルゴ13の評価がここまで高まってしまうと、そういった初期の設定の「甘さ」を放置しておくわけにはいかなくなり、その理由を「後付け」で公表せざるをえなくなるに至ります。

それが、第423話「激突! AK-100 vs M-16」(2002年)と世間では捉えられています。


一介の狙撃兵からロシアの兵器開発局の責任者まで登りつめたマカロフ・グロスキー大佐は、ゴルゴの存在によってM16が過大評価されていると考えていました。


自国のAK-100を世界に君臨させることで強国ロシアの復活を目論むグロスキーは、M16の信用を失墜させるにはゴルゴを葬り去ることが早道と、ゴルゴを罠にかけることを企てます。


世界の武器勢力図を書き換えるかもしれない闘いがアラル海で行われる、との情報が世界中を駆け巡ります。


同じころ、AK-100の産みの親である「カラジニコフ」(カラシニコフで非ず)は、ゴルゴがM16を使い続ける理由を知りたがっていました。


アラル海での戦闘を知ったカラジニコフは、その理由を知る機会になるかもしれないと現地に向かうことを決めます。


アラル海までの道中、カラジニコフは、M16の開発者ストーラ(ストーナーで非ず)と極秘裏に面談した時のことを思い出していました。(M16はゴルゴの「戦訓」によって改良されてきた事実が明らかにされます)


ちなみに、「実在の」ミハイル・カラシニコフとユージン・ストーナーは、1990年、秘密裏ではなく公の場で面会しています。


砂嵐が吹きすさび、ひどい塩害に悩まされているアラル海は、ちょっとした埃の侵入でクリーニングが必要になるM16には不利なロケーションでした。


グロスキーがアラル海を闘いの場に選んだのは、AK-100のメンテナンスフリー性が最大限に活かせる、と踏んだからでした。


ゴルゴのM16が使えなくなったと推測される頃合いに攻勢を仕掛けるも・・・


なんとゴルゴはタイヤ内の空気を使ってM16をクリーニングを行っていたのでした!!(立膝でメンテナンスする姿は凄腕スナイパーというより、熟練整備工の風格が漂っています・・・)


グロスキーの部隊が返り討ちに会い全滅した後、カラジニコフが現れて「なぜ致命的な欠陥のあるM16を使うのか・・・教えてくれっ!!」とゴルゴに迫ります。

ゴルゴは、すでに要メンテ状態となってしまったM16を投げ捨て、「AK-100は50年後でも名銃として残るだろう・・・だが、M16にはそこまでの”命”はない」と言い放ちます。


ゴルゴは、ナイフでカラジニコフを瞬殺。(何も殺さなくても・・・実在のカラシニコフ氏は2013年没ですから、作品の発表された2002年には、まだピンピンされているんですよ!)


死に逝くカラジニコフに冥土の土産とばかりに、ゴルゴは彼の疑問に答えます。

「俺は・・・”一人の軍隊”だ。」

カラジニコフは自分の命と替えて、ゴルゴの秘密を手に入れたのでした。


とはいえ現在、M16を基に口径はそのままに弾を重くし狙撃銃としたMk 12 SPR (Special Purpose Rifle)が特殊部隊などで使われております。瓢箪から駒、とはまさにこのことかもしれません。いや、ようやく時代がゴルゴに追いついた、と言うべきでしょうか。

Younger T氏による解説

「AKはその命中精度を、M-16はその耐久性を過小評価されている」とは誰が言ったか。実際どちらの銃も軍用として使われ続けている歴史がありますし、巷間噂されるような酷い性能ではありません。

ここではアーマーライトに話題を絞ります。ロッキングラグの形状を見ますと「こりゃ確かに砂や埃を咬んだら動かなくなりそうだぞ」と思えますが、どんな銃でも使用後の手入れを怠れば動作不良を起こすのは自明の理。ボルトを外してキャブクリーナーで煤を落とし、オイルをスプレーすることで一応の清掃が完了しますからゴルゴみたいにタイヤ外して圧搾空気を吹付けなくても大丈夫です、きっと。それとオイルによる砂の付着が銃の作動性を低下させるという話ですが、それはその通りです。異物が噛む訳ですから。しかし砂漠地帯でもオイルを適正量使用して分解結合を行った銃の作動性は良好で、砂塵の影響は左程ではなかったという米軍のレポートを何処かで読んだような気が(機械ですけど軍用ですし、多少のことは大丈夫! なのでしょう、きっと)……

ついでに言いますと、AKも生産国によってクオリティが大分異なるのは有名な話。トリガースプリングを二重の鋼線で撚ってあるのも「鋼線一本切れても、もう一本折れてないなら取り敢えず撃てる!」的な発想だとか。

それにゴルゴは作品中でガンスミスに細かく指示を出しワンオフで銃の製作を依頼することも少なくありません。確実に動いて必ず当たる、ゴルゴなりのノウハウが詰まったオーダーなのでしょうね。しかし現実世界ではAR-15のレシーバーを長くして7.62mm口径化したSR-25(AR-10に先祖返りしたみたいですね)、ラプア弾使用狙撃銃、50口径の各種狙撃銃など「弾が重くて長距離を狙える」モデルにシフトしている様です。

実際に使ってみてどうなの?と言われますと、エアソフトガンやモデルガンで一連の操作を行ってみれば即座に分かることですが、M16(昨今はM4が主流ですね)は圧倒的に使い易いのです! エアガンではAK派の筆者も認めざるを得ません、これは大きなアドバンテージです。それにベトナム戦争以来ずっとM16のレバーやボタンの配置に慣れた兵士にとって、同じ操作性の銃であれば慣熟するのに時間は左程必要とせず安心して使用出来ることでしょう。

命中精度はどうでしょうか? それは筆者が敬愛して止まないRonald Lee Ermey氏の動画をご覧ください。この方はグロックの広報もしてましたね、そういえば。

ガニー軍曹のミリタリー大百科 
https://www.youtube.com/watch?v=ToqKr6-mwSk
寸劇仕立てのCM 
https://www.youtube.com/watch?v=BQHWTfFV3Vc

As Gunnery Sergeant Hartman
of “Jelly Donut” scene in Full Metal Jacket

“Ich bin ein Berliner”
(I am a Jelly Donut)
John F. Kennedy – 26 June 1963

M16A1の操作と予防的メンテナンス

1965年よりベトナムに実戦配備されたM16は、当初、様々なトラブルで最前線の兵士を悩ませ、欠陥品ではないかと政府議会で追及されるなど物議を醸したことはよく知られた事実です。

その中でも最も深刻な問題となったのは、頻繁に起きるフィーディングジャム(装弾不良)で、これはボルト(遊底)部への火薬カスの堆積が原因で、銃内部の定期的な清掃で回避できるものでした。

高性能ゆえ繊細な内部機構を持つM16にとって、メンテナンスこそ性能維持の生命線でありましたが、未来的フォルムを持つ新鋭銃に対してメンテナンスフリーと誤解する向きもあって、現場で適切な対応がなされていなかったのです。

M16よりマシとばかりに鹵獲した
敵銃(AK-47)を使う兵士もいました

1967年には、ベトナムでの「戦訓」をフィードバックしたM16A1にバージョンアップされた際、専用クリーニングキットも設定され、大量配布されています。キットにはコミック形式のマニュアルが同梱されていました。


1972年より、クリーニング・キットが銃床内部に収納できるようになっています。


コミック式マニュアルは、アメコミ界の重鎮「ウィル・アイズナー」を起用したクオリティの高いもので、すでに第2次世界大戦中、同じアイズナー画のコミックが新兵教育に導入されており、成功を収めた実績があったのです。

1969年7月改定版 表紙

以下にその内容をご紹介します。


「可愛い子ちゃんの脱がせ方。君の彼女のすべてを知って、優しく脱がせてやってくれ」



「ジャムったら何をすべきか。頭をクールに、だが行動は迅速に」


[1968年版との違い]

1968年版 第5ページ

驚くべきことに1968年版にあった「フォワードアシストを叩け」という表記(上画像赤枠部)が、1969年版では無くなっています。(フォワードアシストの機能自体は廃止されていません)


この「フォワードアシスト」は、装填時にボルトが完全に閉め切らないという問題が起きた場合、射手が手動でボルトを強制的に閉める機能です。初期のM16には、その機能は付けられていませんでした。というのも、M16の設計者は、「根本的なトラブル原因を解決することなく、そういった機能に頼って銃を使い続けるのは危険かつ銃の劣化を進めるだけ」と考えていたからです。とはいえ、戦場では綺麗ごとばかり言っていられません。軍からの強い要求で不本意ながら追加したという経緯があったのです。

改訂時の削除意図は不明ですが、上記経緯と関連しているのかもしれません。


「ベテランからのアドバイス。とにかく各部の点検、1日3回から5回は清掃しよう」



可愛い「16」に対する小技集


[1968年版との違い]

1968年版 第8、9、10、11ページ

1968年版にあった6つの小技のうち、上記赤枠の2つ(鉄製マガジンはジャムを引き起こしやすいので使わない、ファイアリングピン・リテイニングピンは新型に替える)が削除され、代わりに1969年版には、銃携行時は「ネグリジェ」を着せること、という記事が1ページに渡って載せられています。


クリーニングツールとその使い方


[1968年版との違い]

1968年版 第21ページ

1968年版にあった「ファイアリングピン・リテイニングピン」に関する記述と「キャリアにある2つのボルトは触らない」という記述は1969年版では無くなり、1969年版には、新たに「銃床にある水抜き穴を清掃せよ」という記述が追加されています。


給油ガイド。M16専用オイルである LSA は Lube Oil, Semi-fluid, Automatic-weapons の略。



「撃つ前に水を抜け!」


[1968年版との違い]

1968年版 第25ページ

両年版とも全く同じ内容(銃の水抜きの仕方)ですが、レイアウト・デザインが異なっています。


マガジンの扱い方。な、なんと!マガジンを「マギー」と、ゆるキャラ化!アメコミのトレンドは50年先を行っていました。



「車両ホルダー」と新しく出た「ショーティ」について。ショーティこと「XM177E2」は、歩兵用M16A1の銃身を11.5インチまで切り詰め、カービン(騎兵用銃)としたもの。結局、制式採用にならず、Mから始まる名称は与えられませんでした。



「なぜM16を清掃したり、注油したりするのかって?命がかかってるからさ!」

裏表紙

M18 – ベトナム軍によってカスタマイズされたM16


仕事場の再現コーナー


今から20年前の1998年に描かれた色紙。

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