ホンダコレクションホールのダートトラック、トライアル、ラリー、モトクロスのレーサーのご紹介です。E藤氏の趣味か、一連のモトクロッサーに力が入っています。
Dirt Track
1981 NS750
AMAダートトラックレース専用マシン。GL500の輸出車CX500、4バルブ OHVエンジンを横置き、チェーン駆動にしたRS750Dの先行開発車。( No.19 F.スペンサー)
1984 RS750D
XLV750Rエンジンをベースに、アメリカで人気のフラットトラックレースのために作られたマシン。左周り専用のステップ配置が特徴。(No.67 B.ショバート)
Trial
1983 RS250T(W)
日本初のトライアル車TL125を進化熟成、1983年全日本トライアル選手権用として開発したワークスマシン。7戦5勝して堂々の2連覇を果たした。(No.1 山本昌也)
1984 RS360T
’84年世界選手権トライアル12戦中7勝、シリーズチャンピオン獲得。低速域で粘りを発揮するOHC2バルブ単気筒エンジンを搭載。(E.ルジャーン)
2002 Montesa COTA 315R [RH]
’02年トライアル世界選手権でドギー・ランプキンが16戦中10勝し、6年連続ワールドチャンピオンを獲得したマシン。(D.ランプキン)
2007 Montesa COTA 4RT [LH]
2005年、315Rは4ストロークエンジンの4RTにバトンタッチする。4RTは、2007年から2009年までトニー・ボウが3年連続チャンピオンに輝くという圧倒的な強さを発揮した。
Rally
1989 NXR750
’89年パリ~ダカールラリー優勝。4年連続優勝(通算5勝)を達成。大柄ながら軽快な運動性は、そのまま市販車アフリカツインに継承。(優勝車 No.100 G.ラレイ)
1992 XR600R Baja
1992年11月、北アメリカのバハ・カリフォルニア半島縦断バハ1000、行程1.038.5マイルのレースを17時間で走破。輸出専用車XR600Rがベースのデザートレース用マシン。
1995 EXP-2
エミッション、省資源など2サイクルエンジンの環境への適合性を求め独自のAR燃焼技術採用。グラナダ・ダカールラリーで総合5位、クラス優勝。(No.45 J・ブルシー)
Motocross
1972 ELSINORE CR250M
オフロードマシンとしてホンダ初の2サイクルエンジンを搭載、アルミタンク採用などワークスマシン並の軽量化を徹底した250cc市販モトクロッサー。
1973 ELSINORE CR1250M
1972年にモトクロス全日本選手権シリーズに参戦したファクトリーマシンのノウハウを取り入れ開発された2サイクル市販モトクロッサー。
1978 CR125R ELSINORE
レッドエンジンとフレームで注目の的だった初代125R空冷モトクロッサー。悪路でも走破性の高いフロント23インチタイヤ、ストロークの長いサスペンションが特徴。
1979 RC500M
’79年世界選手権モトクロス500ccクラスでマニュファクチャラーズ/ライダーズチャンピオンを獲得。リア・ツインショック車の最終型で空冷エンジン搭載。(No.8 G.ノイス)
1981 CR250R
ワークスマシンRC250Mの技術をフィードバック。当時、クラス唯一の水冷エンジン搭載、プロリンク・リアサスペンションなど充実装備された市販モトクロッサー。
1981 RC125M
全日本選手権A-125で、無敵を誇ったマシン。フロントにダブルプロリンクを装着し、完成の域に達した。全日本選手権A-125で無敵を誇ったマシンRC125Mをベースに、Fフォークをテレスコピックからダブルプロリンクに変更している。東福寺保雄選手が北海道大会の両ヒートを制しているが、その車両は単気筒エンジンであった。展示車両はテスト走行のみで実戦での出走がなかった2気筒モデル。
1982 RC250M
ATAC初装着ワークスマシン。排気チャンバー容量を変化、いかなる回転域でも鋭い走りが得られた。(’82年全日本選手権チャンピオン車 No.19 東福寺保雄)
1984 RC500M
’84年世界選手権モトクロス500ccチャンピオン車。前年の水冷化に続き排気デバイスATACを追加、後部アルミフレーム化で戦力アップに成功。(No.2 A.マラーベ)
1984 RC125M
’84年全日本選手権モトクロス、国際A級125ccクラスでシリーズチャンピオン獲得。高回転で高出力発揮のロータリーバルブエンジンを採用。(優勝車 No.28 東福寺保雄)
1991 RC250MA
モトクロッサー初の高効率オートマチックミッションHFT搭載。アルミ部材で軽量化、’91年度全日本選手権モトクロスに参戦、チャンピオン獲得。(No.4 宮内隆行)
1996 CR250M
1996年まで9年連続AMAスーパークロスタイトルを獲得したCR250の集大成。楕円キャブの改良型エンジンに46mmフォークなどで進化。(No.1 J.マクグラス)
1997 CR250R
ロードレーサーなどで実績を得た、軽量・高剛性のアルミツインチューブフレームを ’96年に量産モトクロッサーで世界初採用。デジタル進角などハイテク装備。
2000 CRF450R
環境に配慮して新開発されたクリーンな性能の新世代4ストローク水冷OHC 450cm3モトクロッサー。日本GPにデビューウインを飾った同名市販型のプロトタイプ車。(優勝車 No.111 S・トーテリ)
型式こそどちらもRC125Mですが無敵を誇ったのはテレスコピックフォークのモデルであってダブルプロリンクのモデルは北海道大会の両ヒート優勝の2勝のみです。
因みに展示されているダブルプロリンクのRC125Mは2気筒モデル。
佐藤健二がテスト走行しただけで実戦での出走はありませんでした。
東福寺が乗って優勝したモデルは単気筒です。
ご指摘ありがとうございます。修正いたします。
なにか他にお気づきの点がありましたら遠慮なくお知らせいただけますと助かります。よろしくお願いいたします。
余談ですが、1986年シーズンが終わってHRCのチャンピオンライダーを集めたファン感謝デーというべき催しがホンダの青山本社で開催されたのですが、当方はそこに馳せ参じております。
モトクロスでは250の東福寺選手と125の伊田井佐夫選手が、トライアルでは(たしか)山本昌也選手が、ロードからは500㏄の木下恵司選手(ホンダ社員)が来ておられました。
何の悪意も他意もなく、その時見たことを書きますと・・・サイン会では東福寺選手、木下選手には大行列ができていたのですが、なぜだか伊田選手の列は閑古鳥。ご当人の腐りきっていた姿は忘れられません。別に1人からしかサインをもらえないわけではないので、伊田選手からサインをもらった後に東福寺選手の大行列に加わってもいいわけですが、なぜこうも伊田選手が不人気だったのかは、当時も今も全く分かりません。
サイン会の後、オフ勢は本社駐車場で派手なデモ走行を見せてくれましたが、伊田選手一人だけコケてました。サイン会での惨状を知る身としては、その動揺ぶりを直視できませんでしたね。(伊田選手とはその後、MTBのレースで再開したときは嬉しかった・・・)