2016/10/16 宮ケ瀬 80s ミーティング

E藤氏は本日16日、3か所のミーティングをハシゴしました。その第1弾がここです。

80年代というのは、新しくもなく古くもなくといった、なんとも中途半端な年代と長らくそう感じていました。しかし、27年から36年前、と数字として聞くと、間違いなくはるか昔なんだな、と認識を正さざるをえません。

なぜ、古さを感じないのでしょうか?80年代末に完成の域に達したアルミ製ツインスパー・フレーム、倒立フォーク、前後17インチ・ラジアルタイヤといったスポーツバイクの基本フォーマットが、30年経った今でも変わっていないからだと思われます。

一方、80年代にはオートバイに急激な進化がありました。カウル、セパハン解禁によるスタイリングの自由化、フレーム、サスペンション、タイヤの大幅な進歩による走りの革命。これらの点で、80年代前半のバイクと後半のバイクは、同じ年代にくくるには抵抗を覚えるほど、まるで違うものとなっています。(他にも道交法の保安基準の改正によるカスタム解禁という事実も見逃せません)

80年代は、旧世代と現世代の混在、百花繚乱な過渡期の技術(アンチノーズダイブ機構、前16インチ・・・)で象徴され、魅力となっているといえましょう。

HONDA

Gun’s CUB

過去に「グン・カブ」を標榜するカスタムは多々ありましたが、これほどまでに再現度の高いものは無かったのではないでしょうか。

フロントダブルディスクと2ストエンジン(モリワキのチャンバー!!(笑))を絶妙なまでに再現しています。
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「春の珍事」でございます・・・
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「モリワキのチャンバー」はともかく、この「2ストロークの125ccエンジン」とはどこのなんぞや?というのが、長らく私の疑問でありました。

CB1100Rを所有する(MHRも所有する)”ホンダ命”のおっちゃんの作のこと、ホンダ製エンジンであることは当然でしょう。ラジエターらしきものは見受けられませんので、空冷、そして単気筒・・・私の推測では、初期のRS125Rのエンジンではないかと。1970年代後半、モトクロッサー譲りの空冷単気筒エンジンでデビューしたRS125Rは、1980年代初頭には水冷化されて久しく、その空冷エンジンは不要なものとして、その辺に転がされていたことでしょう。それを使ったのではないかと。
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少し寝かせてカブ・フレームに搭載・・・可能でしょうか?
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NS400R

MVX250

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「気分は4本マフラー!このウイットネスがたまらない魅力。小物も入れられます。」とのコピーがふるっています。
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これが
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こう開くギミック。素敵過ぎます。当時のオーナーたちは、ここに何を入れたんでしょうね?
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でも、冷静に考えてください。この時代、ホンダにはまだ2ストV4がありませんでした。海の向こうのWGPではフレディーとケニーが3気筒NSと4気筒YZRでドンパチやっていた頃です。ライバルYZRに似せよう、というアイテムをメーカー系アクセサリとして売っていたんだから、ホンダも太っ腹です(笑)。

MVX250Fエンジン、NS500とは逆レイアウト(前2後1)でありました。なぜNSと同じレイアウトで出さなかったのでしょう?チャンバーの取り回しに難があったのでしょうか?返す返すも残念で仕方ありません。
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NS400R用エンジンもMVX250Fと同じレイアウトです。実のところ、このエンジン、本来はMVX400Fとして世に出るよう準備されていたものが、先鋒のMVX250Fが技術的にも商業的にも大失敗したのを見て、急遽、引っ込められた・・・それが、ほとぼりが冷めたころ、NS400R用として世に出てきた・・・と聞いております。真偽はいかに?
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NS500のエンジン。真剣の凄み、というものが感じられます。
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そしてNS500の元ネタとしてしばしば引き合いに出されるDKW3気筒。350cc、1952年の作です。実際、参考にされたのでしょうか?ホンダの茂木のミュージアムに収蔵されているくらいだから、着想のヒントくらいにはなったのでしょうか?(なお、DKWの後方2気筒はNSとは異なり前方排気となっています)1957dkw

NSR250

VT250F

初代。オリジナル度は高いように思われます。

2代目。オリジナルはインボードディスク。ホイールは後年式のCBRあたりからの流用と思われます。

販売累計10万台達成を記念した限定車、インテグラ・ウイングスペシャルエディション。VTの象徴ともいえたインボードディスクのFブレーキが、メーカー自身の手によって、ダブル化、アウター化されています。

兄貴分のVF750Fに寄せたカスタム。ホイールをコムスターにするなど芸は細かいが・・・ええ、カスタムは自己満足の世界ですから・・・

ファンシーになった3代目VT。ダブルディスク化された後期型。今となっては希少なモリワキ・フォーサイトマフラーが目を引きます。

CB750F

CBR400F

CB400Four

VF400F

CB250RSZ

katayama
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GB250

TRACY

Monkey/Gorilla

MOTO COMPO

DJ1R

NS1

Kawasaki

SUZUKI

YAMAHA

80年代らしいオートバイといえば、何を挙げるべきでしょうか?

現在、2輪免許保有者の平均年齢は50数歳というとんでもない高さにありますが、これらの人たちが青春を謳歌したのが、80年代の「バイクブーム」の時代なのです。免許制度のために750は憧れであり、輸入車や逆輸入車の敷居の高さと言ったら、まさにドリームマシンという時代。その頃の若者にとって2年に1回訪れる車検の費用ですら、結構な重荷でありました。車検に金が掛かるから250で我慢する、ではなく、250であることの積極的な意味をもったモデル・・・軽量、ハイパワーを武器に上級車を刺すポテンシャルを秘めたモデル、の登場は待ち望まれていました。

そんな若者らのニーズに的確に反応し、大ヒット作となったのが、RZ250。それを4ストで迎え撃ったVT250F。見かけもレーサーにできる限り近づけてしまえばなお良し、という「商法」を「発明」したRG250Γ。このあたりが80年初頭に生まれ、人気ゆえにシリーズ化されるものの、80年代を超えることができなかったという点で80年代を象徴するオートバイといえましょう。

ここにその歴代モデルをご紹介いたします。


YAMAHA RZ シリーズ


1980 RZ250 (4L3)
1980年8月、初代RZは、TZ250と同じボアxストローク(54mm×54mm)を持つ水冷エンジンにチャンバータイプのマフラーを纏うと、クラストップの35psの出力を謳い、颯爽とデビュー。当然の大ヒット作となります。

イメージ・キャラクターは当然、ケニー!!

カラーリングは白と黒の2色。


1981年1月には輸出仕様であったRD350LCがRZ350として国内販売されると、250は350と同じグラフィックとなります。カラーリングは相変わらず白と黒・・・


そしてYSP仕様の赤(限定モデル)。

1983 RZ250R (29L)
1983年2月、排気デバイスYPVSを装備し最高出力を43psまで引き上げ、外装を一新。同時にフロントブレーキのダブル化、リヤブレーキのディスク化、フロントのセミエア式フォークとリアのニュー・モノクロスサスペンションの採用など、足回りも大きく手が入っています。

カラーリングは鉄板の白と黒。


YSP仕様は翌年デビューのRZ250RRを思わせるストロボカラー。オプションのアンダーカウルとシングルシートカバーを装備。

1984 RZ250RR (51L)
1984年2月にハーフカウルのRZ250RRがデビュー。1983年のガンマのデビューで過熱した性能競争で1年ごとのモデルチェンジは常態化。最高出力はガンマを追って自主規制の上限の45psまで引き上げられています。

イメージキャラクターは前年の全日本500㏄チャンプ、平忠彦!!

カラーリングは定番の赤/白と、黒に代わって青/白。


オプションでフルカウル、シングルシートカウルが用意されていました。


YSP仕様は青ストロボ。

1984 RZ250R (1AR)
1984年8月にはRRをネイキッド化したRZ250Rが世に出ます。

初期型はタンクにデカデカとRZRのロゴ、そして派手な赤シートでポップな印象。赤/白のみの設定。

後期型(1985年-)ではタンクロゴとシート色が変更され、落ち着きを取り戻します。赤/白と青/白の設定。

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1986 RZ250R (1XG)
1986年7月にマイナーチェンジを受けます。前年11月にデビューしたTZR250に先鋭レプリカモデルの座を譲ったため、性能競争から一歩引いたベーシック・スポーツモデルとしての性格が強められています。

定番の赤/白の他、ゴロワーズカラー、黒/銀の3色。



1988 RZ250R (3HM)
1988年7月にマイナーチェンジ、前後ホイールが17インチ化されています。これがRZの最終型で、RZのDNAはR1-Z(1990年)に引き継がれることになります。


カタログ撮影は行われたものの未発売に終わった青/白仕様。


SUZUKI RGΓ シリーズ


80年代から90年代にかけての、3+1メーカーによる「レーサーレプリカ戦国時代」は、70年代末の「HY戦争」に続く、日本オートバイ史における大トピックであることは間違いありません。そこでスズキ(RG250Γ)が果たした役割は、ホンダもヤマハも、お上の顔色を見て自粛していたこと・・・あからさまなレースイメージで顧客を煽ること・・・を、3番手メーカーの強み(市場への影響力は弱い)でしれっとやってしまったら案外許されてしまった・・・おかげで、メーカーの技術&商品開発競争に歯止めが利かなくなった状況を作り出した(ユーザーは嬉しい悲鳴)、ということに尽きます。

RZがつき、Γがこねし天下餅、座りしままに食うはNSR

1983年 1型 (D型)
1983年3月、レーサーまんまのカウルデザイン(当時としては)、量産車初のアルミフレームなどを引っ提げ初代ガンマはデビューします。それは”衝撃的”といっていいインパクトのある出来事でした。

シングルシートカウルはオプション。

少し遅れて同年夏には、赤がカラーバリエーションとして追加されます。アンダーカウルとシングルシートカウルはオプション。

輸出仕様のフロントブレーキはシングルだった!!

イメージキャラクターはフランコ・ウンチーニ。ミシュランタイヤが標準装着というのも誇らしい。

1984年 2型 (E型)
1984年3月、カウル周りがシャープな形状に改められ、フレームのアルミ材はリブが加えられた2型となります。強化されたブレーキは、キャリパーののピストン合計数が10となったことより、「デカピストン」と称されました。

レプリカの真骨頂、HBカラー!

1985年 3型 (F型)
1985年3月、カウル形状が一新、フルカウルとハーフカウルの2種が設定された3型となります。このモデルから排気デバイスSAECを装備。

カラーバリエーションは以下の3種。(ホワイトは新鮮)

1985年5月、ウォルターウルフカラーも設定されます。


1986年 4型 (G型)
1986年2月、4型となるも、この頃のΓのライバルはRZやVTはおろか、NSでもなく、NSRやTZRでありました。もはや、かなりの劣勢を強いられていたと言わざるを得ません。

好評のWW仕様は2色展開。


なぜかヨシムラカラー。

1987年 5型 (H型)
1987年6月、最終モデルが市場に出ます。ホイールの形状・サイズの変更、ブレーキディスク径の拡大、フロントフォーク・インナーチューブの大径化など主に足回りの強化が行われますが、ライバルとのパフォーマンス差を埋める、という点では、焼け石に水といったところでした。


人気のWWは3代目。

翌88年にはエンジンがV型となったRGV250Γがデビュー。クロスミッションを持つSPモデルを設定するなど、はるか先で過激化していたNSR、TZRへの追撃をはかります。


HONDA VT シリーズ


ホンダは、1980年のデビュー以来、我が世の春を謳歌するRZ250の追撃に、4ストながらRZと同じ35psの最高出力を標榜するVT250Fを出し、世に問います。良く知られているように、VT250FはRZ以上のヒットを飛ばし、そのV型2気筒エンジンは、35年以上も生産を続けられ、ホンダの傑作エンジンのひとつとして歴史に名を残すことになります。

1982年5月 初代VT250F (C)
フロント16インチのブーメランコムスターホイール、インボード・ディスクブレーキなど当時のホンダらしいユニークな構造を採用していました。
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1983年6月 VT250Fインテグラ (2D)
FCのフルカウルバージョン。
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1984年2月 2代目VT250F (E)
角断面スチールフレームとなり、出力は40psにアップされています。
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1984年9月 VT250Z
FEのネイキッド・バージョン。
vt250z
1985年3月販売累計10万台達成を記念し、2種の特別仕様車を限定販売します。

VT250Fインテグラ・ウイングスペシャルエディション(VT250F2F)
FEのフルカウル化のみならず、Fブレーキのダブルディスク化、アンチノーズダイブ機構TRACが装備されています。
vt250f2f
VT250Fリミテッド
限定5,000台のスペシャル・カラー・バージョン。
vt250fltd
1986年4月 3代目VT250F (G)
3回目のフルモデル・チェンジ。フレームは、スチール製ながらVFR譲りの極太角断面となります。マフラーは2本出しから1本出しとなり、出力は43psまで上げられています。
vt250fg
1987年1月 VT250F (2H)
Fブレーキのダブルディスク化。
vt250f2h
1987年3月 VTZ250
F2Hベースのネイキッド・バージョン。
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1988年6月 VTZ250は、より扱いやすい出力特性を得るために、40psにパワーダウンされます。本家VT250Fは1988年に後継モデルのスパーダに道を譲りますが、VTZは引き続き1989年まで販売されました。

1988年11月 VT250スパーダ (J)
アルミ鋳造のCASTECフレームが採用されます。ついにRブレーキがディスク化されます。
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80年代のVTはここまで。余談ながら、1991年10月にゼルビスが、1997年11月にはVTR250がデビューしています。(驚くべきことに、VTR250は現行車の座にとどまり続けています)

1 thoughts on “2016/10/16 宮ケ瀬 80s ミーティング

  1. NS500はバンク角の問題であーなった。
    低重心化という意味で、
    本来はMVXのレイアウトにしたかったらしい。
    と雑誌の記事で読んだことあります。

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