2011年から奈良県宇陀市で開催されている旧車ミーティング。国産4輪が強い印象ですが、二輪やアメ車、欧州車にも興味深いエントリが見られます。(E藤氏が観覧されてきました。関東の人間には「宇陀」という地名を知らない人が多数ではないかと思われます)
RIKUO
BMW
BIMOTA
YAMAHA
SUZUKI
1982年 スズキ ファンファン
キャッチコピーは「誕生。街のヨーロピアン・モペット」。シート下の収納スペースは、当時としては新しい装備といえましょう。
KAWASAKI
HONDA
1973年 リトルホンダ ホリディ PZ50
市販直前に試乗した本田宗一郎が小径タイヤゆえの不安定さから転倒してしまい、宗一郎の「危険な乗り物で世に出すべきではない」という鶴の一声で急遽、販売中止になった、とまことしやかに噂されているいわく付くの車両。宙に浮いた生産済の車両(一説には1000台以上)が、なぜだかマニアの下に流れているという・・・
ホンダ製モペッド小史
モペッドとはペダルの付いたオートバイのことです。
1946年 自転車用補助エンジン
ホンダ創立前の本田宗一郎は、旧軍から放出された無線機用電源エンジンを買い集め、自転車用補助エンジンに仕立て直して販売していました。
1947年 A型
ホンダ初の市販製品。エンジンは4ストではなく2スト。ただし、ロータリーディスクバルブと凝っています。また宗一郎は、製造過程においても、安易に砂型による鋳造で済ませず、コストのかかるダイキャスト鋳造にこだわったといいます。
1953年 カブ F型
初めて「カブ」と名付けられた製品。2ストオイルの飛散やエンジンからの熱を避けるためにエンジンをリアタイヤの側に移したことが受け、月産1万台というホンダ初の大ヒット作となっています。
1966年 リトルホンダ P25/P50
ウインカーはオプションで、29,800円の車体に対し2,000円もしました。
1969年 リトルホンダ PC50
ベルギー・ホンダ製を日本に入れて売ったとか。
1974年 PM50 ノビオ
上記ホリディの欠点を改良して市販に漕ぎ着けたものが、このノビオ。
1984年 ピープル
2スト24ccエンジンはわずか0.7psを発揮し、最高速度は18km/h。限りなく自転車寄りの存在で、原付のヘルメット着用が義務化されていなかった時代だからこそ成立しえた製品。現代の電動補助自転車の原型といえましょう。
1985年 DJ-1
MAZDA
NISSAN
TOYOTA
DAIHATSU
SUBARU
MISUBISHI
ISUZU
SUZUKI
2000 MODERISTA CASERTA
トヨタの関連会社、モデリスタ主導で限定150台が販売されました。ラインから抜かれたMR-Sのベア・シャーシが、岩手県のカロッツェリア「MODI」に持ち込まれ、手作りで内外装が取り付けられるという凝った生産過程ゆえ、価格はベースモデルの2倍以上となり、商業的には失敗したとされています。
MR-Sベースといえば、こんなのもあります。
2001 Toyota VM180 (Zagato)
日本車ベースのザガートと言えば、ステルビオ!! 以下のガビアは、ステルビオと同じ2代目レバードをベースとする兄弟車。珍しい!!
1991 Autech Zagato Gavia
こちらが「本家」ステルビオ。日本のバルブマネーとザガートの狂気が生んだ鬼っ子です。
まあ、「狂気」はステルビオだけではないんですね。80年代後半から90年代初頭にかけてのザガートは、美しさよりアクの強さを追求していました。その狂い咲きっぷりを以下に紹介いたします。
日産(オーテック)も、ステルビオ、ガビアで懲りていなかったんですね・・・300ZXベースの「セタ」と「バンブゥ」が後に控えていました。バルブ経済が弾けていなかったら、この2台も世に出たのかも?