E藤氏が行って参りました。
ただただ値段の高い車ばかりに人が群がる日本のこの手のミーティングで、かなり珍しい・・・だけでなく歴史的にも価値のある車が展示されていました。
1923 TATRA 11
URAL
ウラルの歴史は、第二次大戦中、ドイツ機甲師団が使用するオートバイの機動性に驚嘆したソ連政府がBMWのデッドコピーを自国のIMZ社に命じたことから始まりました。そのコピー行為は、ドイツのソ連に対する戦時賠償の一部として戦後も正当化され、現在に至る模様です。
ALPINE
A110
1961年から1977年まで17年もの長期間にわたって生産されたA110は、その軽量さとリアエンジンによる強烈なトランクションを武器に、初期の世界ラリー選手権を席巻しました。また、プロトタイプでルマンに挑戦するなどもしていたアルピーヌは、昔も今もモータースポーツ・イメージの強い会社ですが、意外にもアルピーヌを設立した元レーシングドライバー、ジャン・レデレ(Jean Rédélé)は事業拡大欲も小さくないようで、自社の名機A110を世界各国でライセンス生産させていました。
A110をライセンス生産した国は、ブラジル、ブルガリア、メキシコ、スペインの4国にも渡ります。(実のところ、ルノーをライセンス生産している国でアルピーヌも造られた、という状況です) Wills Interlagosブラジルではウイリス-オーバーランド社が、1962年から1966年までに、インテルラゴス(Interlagos)名義で、A110の前身であるA108とA110を合わせて822台生産しています。この会社はルノー車のライセンス生産を行っておらず、純粋に自社ラインアップにスポーツカーが欲しかったために導入したとのことです。 Dinalpin同じ南米のメキシコでは、ルノー車をライセンス生産していた ディーゼル・ナシオナル 社(Diesel Nacional SA / DINA) が ディナルフィン(Dinalpin)として、1965年から1974年の間に、508台のベルリネッタと67台のカブリオレを生産しています。 Bulgaralpineルノーのライセンス車をブルガールノー(Bulgarrenault)として生産していたブルガリアでは、1966年からブルガラルピーヌ(Bulgaralpine)も生産されることが決定します。年産300台程度を目標としていたものの生産は軌道に乗ることは無く、1969年の生産終了までの4年間にわずか60台(100台あるいは120台とする説もあり)が造られたにすぎませんでした。 FASA-Renault Alpineスペインのルノーの子会社、FASAルノーでは、1967年から本国よりも1年長い1978年までA110を生産していました。 |
ISUZU
DAIHATSU
HINO
MAZDA
COSMO
MITSUBISHI
JEEP
デボネア
COLT LANCER
GALLANT
NISSAN
FAIRLADY
BLUEBIRD
TOYOTA
CORONA
PABULICA
CROWN
CAROLLA
ABARTH 750 ZAGATO
ALFA ROMEO
Junior ZAGATO
GIULIA TI
LAMBORGHINI COUNTACH Aniversary
このカラーリングはきっと、童夢・零のパロディなんでしょうね・・・
BMW 2002 TURBO
FMR TIGER 500
UK FORD
ANGLIA
ESCORT RS
FORD MUSTANG CONVERTIBLE
FORD MUSTANG MACH1
CHEVROLET BEL AIR
PONTIAC FIREBIRD TRANS AM
CADILAC
VOLVO P1800 ES
P1800のエステートワゴン仕様